
高齢者のペット飼育問題と終活
―「飼えなくなったら」を、責めずに考えるために
高齢者がペットを飼うこと自体が、問題なのでしょうか。
答えは、いいえです。
配偶者との死別、子どもの独立、地域とのつながりの希薄化。
そうした中で、ペットは単なる「癒し」ではなく、
毎日の生活を動かし、時間を刻み、生きる理由になる存在です。
高齢になってからペットを迎えることは、
決して特別なことでも、無責任なことでもありません。
では、なぜ「高齢者のペット問題」と呼ばれる事例が、
各地で起きているのでしょうか。
問題が起きるのは、いつも“突然”
現場で多いのは、次のようなケースです。
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飼い主が救急搬送され、家にペットだけが残された
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施設入所が決まり、「今日から飼えない」と告げられた
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飼い主が亡くなり、引き取り手が見つからない
これらは、準備不足や無責任さが原因ではありません。
多くの場合、
「そんな事態が、急に来るとは思っていなかった」
それだけなのです。
元気なうちは、誰もが
「まだ大丈夫」「先の話」と思います。
しかし、入院や介護の判断は、
ある日突然、今日中に決めなければならなくなります。
その瞬間、ペットの生活は一気に宙に浮きます。
少しずつ起きる「できなくなる」という変化
高齢化による問題は、急変だけではありません。
ゆっくり、静かに進む変化もあります。
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散歩や掃除が体力的につらくなる
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動物病院への通院が負担になる
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金銭的な余裕が減り、医療やフードの選択が狭まる
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気づかないうちに頭数が増えてしまう
これらは「怠慢」ではなく、
老いという誰にも避けられない変化です。
外から見れば「不適切飼育」に見える場面でも、
内側では、精一杯続けようとした結果であることがほとんどです。
なぜ、行政や団体に相談しても解決しないのか
「役所に相談したけど断られた」
「愛護団体に連絡したら、厳しいことを言われた」
そうした声も少なくありません。
日本では「終生飼養」が原則とされており、
自治体が簡単にペットを引き取ることはできません。
愛護団体も、慢性的な人手・資金不足の中で活動しています。
つまり、
行政も、団体も、すでに余裕がないのです。
誰かが冷たいのではなく、
制度そのものが「想定外の事態」に弱い構造になっています。
いちばん大きな問題は「相談できなかった」こと
多くのケースを振り返ると、
本当の問題は、ここに行き着きます。
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どこに相談すればいいか分からなかった
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責められそうで言い出せなかった
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迷惑をかけたくないと思っていた
結果として、
限界まで一人で抱え込み、事態が悪化してから発覚する。
助けを求めなかったのではありません。
助けを求めていい場所を、知らなかっただけなのです。
ペットの終活とは「別れの準備」ではありません
「ペットの終活」という言葉に、
別れや手放しを想像する方も多いかもしれません。
しかし、本来の意味は違います。
ペットの終活とは、
自分に何かあっても、その子の生活が続くようにする準備です。
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一時的に預けられる先はあるか
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医療やフードの情報を誰かが把握しているか
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長期的に世話を託せる相手はいるか
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費用をどう確保するか
里親探しだけでは、解決しないことも多くあります。
「今すぐではないけれど、不安」という段階で考えることに、
大きな意味があります。
今からできる、現実的な準備
難しいことを一度に考える必要はありません。
まずは、次のようなことからで十分です。
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緊急時に連絡してほしい人を決める
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1週間だけ預けられる先を想定する
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かかりつけ動物病院を家族に伝える
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ペットの情報(年齢・持病・性格)をメモに残す
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頭数を増やさない判断をする
「まだ早い」と思う時期こそ、
一番、冷静に考えられます。
私たちが受けている相談について
私たちは、日常的に次のような相談を受けています。
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高齢の飼い主さんからの終活に関する相談
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入院・施設入所時の一時預かりの相談
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「将来が不安だが、何から考えればいいか分からない」という相談
具体的な決断が決まっていなくても構いません。
「こういう場合、どうなるのか」を
話すところからで大丈夫です。
最後に
ペットを飼うことは、
未来を完全に約束することではありません。
老いも、病気も、
思い通りにはなりません。
それでも、
未来が揺らいだときに備えて、
その子を守る選択肢を残しておくことはできます。
ペットの終活とは、
別れのためではなく、
生活を続けるための準備です。
責められる前に、
追い込まれる前に、
考える場所があること。
それが、この社会に必要だと感じています。


