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“保護”という言葉が、動物を守らなくなっている瞬間

“保護”という言葉が、動物を守らなくなっている瞬間

善意は、間違っていない。
けれど、言葉が現場を追い越してしまう瞬間がある。

「“保護”という言葉が、動物を守らなくなっている瞬間」

「保護」という言葉ほど、
やさしくて、同時に重たい言葉はありません。

傷ついた動物を一時的に引き取り、
命をつなぎ、回復させ、
元の環境へ戻す、あるいは次の行き先へつなぐ。

本来この言葉は、
その“行為”を説明するための言葉でした。

けれど今、
「保護」という言葉は、
少しだけ役割を変えています。

それは誰かが悪いからではありません。
善意が失われたからでもありません。

ただ、
現場と、言葉のあいだに
小さなズレが生まれはじめている。
その話です。


「保護」は、肩書きではなかった

もともと「保護」は、
状態を表す言葉ではありませんでした。

保護猫、保護犬、という“属性”が先にあるのではなく、
「一時的に守る」「回復まで支える」という
動きそのものを指す言葉だったはずです。

だから本来、
保護は始まりであり、
同時に終わりを含んだ言葉でもありました。

守ったあと、どうするか。
戻すのか。
託すのか。
終生を引き受けるのか。

そこまで含めて、
はじめて「保護」だった。


いつから、イメージの言葉になったのか

近年、「保護」という言葉は
とても広く使われるようになりました。

それ自体は、
悪いことではありません。

関心が高まり、
命に目が向けられるようになった。
それは確かな変化です。

ただ一方で、
行為よりも
ラベルとしての「保護」が
先に立つ場面も増えました。

「保護されているから大丈夫」
「保護だから安心」

そうした言葉が、
現場の状態とは切り離されたまま
使われることがあります。

言葉が悪いのではありません。
言葉が軽くなったわけでもない。

ただ、
言葉が説明しきれない現実が増えた
それだけのことです。

現場で起きている、静かなズレ

現場では、
「一時」という前提が崩れるケースが
確実に増えています。

回復しても、戻せない個体。
人の生活圏に適応しすぎた野生動物。
高齢や障害を抱え、行き先が見つからない個体。

たとえば、
治療によって命はつなげても、
視力や行動の変化によって
自然下での生存が難しくなった個体。

「保護された動物」として見れば、
すでに安全に見えるかもしれません。

けれど現場では、
そこから先の選択肢が消えている
という状況が、静かに始まっています。

保護は終わらず、
時間だけが積み重なっていく。

それでも、
外から見えるのは
「保護されている」という一言だけです。

ケアの量。
人手の限界。
資金や場所の制約。

それらは、
言葉には乗りません。


善意と承認欲求の境界が曖昧になるとき

発信すること自体が、
悪いわけではありません。

知ってもらうこと。
関心を広げること。
それは確かに必要です。

ただ、
見える善意と、
見えない負担のあいだには
どうしても非対称が生まれます。

拡散されるのは、
結果や物語。

支え続ける時間や、
終わらないケアの重さは、
ほとんど共有されない。

このズレが続くと、
「保護」は
守るための言葉でありながら、
現場を消耗させる言葉にもなり得ます。

それは個人の問題ではなく、
構造の問題です。


それでも、「保護」という言葉を捨てない理由

だからといって、
「保護」という言葉を
使うのをやめるべきだとは思いません。

この言葉には、
確かに命を救ってきた歴史があります。

大切なのは、
言葉を疑うことではなく、
言葉の中身を引き受けることです。

守るとは、
続けられる形にすること。

美談にしないこと。
終わりを見据えること。
そして、無理が出たときに
「限界」を語れる余地を残すこと。

保護とは、
やさしさではなく、
責任の話です。

その重さを、
もう一度、
言葉に戻す必要があるのかもしれません。

おわりに

「保護」という言葉が、
動物を守らなくなったわけではありません。

ただ、
言葉だけでは
守れなくなっている場面が増えただけです。

その事実を、
静かに共有できる場所が
少なくなっている。

だから、
この話を書きました。

責めるためではなく、
続けるために。