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なぜ「治療しない判断」が動物福祉なのか|野生動物医療における輸血と処置の限界

なぜ「治療しない判断」が動物福祉なのか|野生動物医療における輸血と処置の限界

助けないのではない。
「やらない」という判断が、最もその命に近いことがある。
野生動物医療の現場で、なぜ輸血や積極的治療は原則として選ばれないのか。
そこには冷酷さではなく、成功率・苦痛・予後・種特性を直視した
動物福祉としての、静かで誠実な判断がある。

はじめに|この記事の立場について(重要)

※本記事は、筆者自身が獣医療行為を行っている立場からの記述ではありません。
筆者は獣医師免許を有しておらず、診断・治療・処置・輸血などの医療行為は、必ず獣医師によって判断・実施されるべきものです。

本文中で述べる内容は、
野生動物医療に携わる獣医師・専門家との協働、取材、保護・飼育現場での観察を通して共有されてきた一般的な知見や考え方を、
動物福祉の観点から整理したものです。

個別の症例については、必ず専門の獣医師に相談し、その判断を仰ぐ必要があります。

「なぜ治療しないのか?」という問いに向き合う

野生動物の保護や医療について発信していると、
必ず向けられる問いがあります。

「なぜ、もっと治療しないのですか?」
「輸血すれば助かるのでは?」
「できることがあるのに、なぜやらないのですか?」

これらの多くは、
命を思う善意から生まれた問いです。

しかし野生動物医療の現場では、
その善意だけでは越えられない現実があります。


野生動物の輸血・積極的治療は「原則として選ばれない」

まず事実として、
多くの野生動物医療の現場では、輸血や高度な侵襲的治療は原則として選択されません。

これは、

  • 技術がないから

  • 助ける意思がないから

  • 見捨てているから

ではありません。

あえて選ばない。
その判断は、感情ではなく、以下の要素を総合して行われます。


理由①|成功率が極めて低い

野生動物では、

  • 血液型が体系化されていない

  • 事前の適合試験が困難

  • 安定したドナー確保が現実的でない

といった条件が重なります。

その結果、

  • 急性拒絶反応

  • 輸血後ショック

  • 一時的回復後の急変

が起こるリスクは高く、
医学的に見て成功率は極めて限定的とされています。

理由②|処置そのものが大きな負担になる場合がある

輸血や外科的処置は、
それ自体が強い侵襲を伴います。

特に以下のような種では、
捕獲・拘束・麻酔・処置の過程そのものが、生理的限界を超える負担となることがあります。

■ タヌキ

タヌキ

  • 捕獲ストレスへの耐性が低い

  • 循環・呼吸が急変しやすい

  • 麻酔リスクが高い

👉 処置過程そのものが致命的になるリスクが高い種


■ カラス

カラス

  • 非常に高い警戒心と知能

  • 捕獲・拘束が強烈な精神ストレスになる

  • 血液量が少なくショックに移行しやすい

👉 精神的ストレスが直接死因になることもある


■ 野鳥全般(特に小型〜中型)

  • 高代謝・高体温

  • 血液量が少ない

  • 消耗が非常に早い

👉 治療そのものが間に合わない、または治療過程で限界を超えるケースが多い


では、すべての野生動物が同じなのか?

答えは明確に「違います」。

野生動物医療では、
種ごとの特性差が極めて重要です。


■ シカ

シカ

一見すると大型で丈夫そうに見えますが、

  • 捕獲性筋障害(キャプチャーマイオパチー)の高リスク

  • 強烈なパニック反応

👉 処置後、数時間〜数日後に死亡する例もある非常にリスクの高いグループ


■ キツネ

キツネ

  • 強い警戒心

  • 人馴れしにくい

  • ストレス性免疫低下を起こしやすい

ただし、

  • 個体差が大きい

  • 若齢個体では比較的耐える例もある

👉 タヌキより条件が良い場合もあるが、安全ではない


■ 猛禽類(タカ・フクロウなど)

猛禽類

猛禽類は、鳥類の中では例外的な位置づけです。

  • 捕食者としての生理構造

  • 単独生活への適応

  • 比較的高い拘束耐性

  • 保護・治療の前例が多い

そのため、

  • 骨折治療

  • 長期リハビリ

  • 条件付きでの積極的治療

が、獣医師管理下で成立する場合があります

👉 「鳥類だから無理」ではなく、「種差がある」

理由③|予後が改善しないケースが多い

仮に処置が成功しても、

  • 野生復帰が困難

  • 継続的医療が必要

  • 人為管理から離れられない

という状態になることが少なくありません。

野生動物にとって、

「生き延びる」ことと
「生きられる」ことは同義ではない。


それでも「助けたい」という感情は否定されない

重要なのは、
誰も冷酷ではないという点です。

獣医師も、保護関係者も、
目の前の命を前にすれば
「助けたい」と思います。

だからこそ、
「やらない判断」は簡単ではありません。


「できない」のではない

「やらない」という判断を選んでいる

野生動物医療において、

❌ できないから治療しない
❌ 技術がないから諦める

のではありません。

👉 やらない方が、その個体にとって福祉的だと判断されることが多い

この一点が、すべての基準になります。


「治療しない=見捨てる」ではない

これは人間医療の価値観です。

野生動物医療では、

  • 成功率

  • 苦痛

  • 種特性

  • 予後

を総合し、
最も害が少ない選択が取られます。


理屈と倫理が一本につながる

整理すると、流れは明確です。

  1. 野生動物の輸血・積極治療は原則選ばれない

  2. 成功率・苦痛・予後・種差の問題がある

  3. それでも助けたい感情は存在する

  4. だからこそ「やらない判断」が必要になる

👉 理屈と倫理が一本の線でつながる


最後に|覚えておいてほしい一文

助けないのではない。
その命にとって、
それ以上やらないと決めているだけだ。

これは諦めではなく、
責任を引き受けた判断です。


まとめ|「何もしない」のではなく「選んでいる」

野生動物医療は万能ではありません。
だからこそ、

  • できること

  • やるべきこと

  • やらない方がいいこと

を、種ごとに、個体ごとに、
慎重に選び続けています。

「治療しない判断」は、動物福祉の放棄ではない。
それは、動物福祉の到達点のひとつです。