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「かわいそう」は誰の感情なのか― 動物福祉で“擬人化”が判断を歪めてしまう理由

「かわいそう」は誰の感情なのか― 動物福祉で“擬人化”が判断を歪めてしまう理由

「かわいそう」という言葉は、やさしさのようでいて、とても強い。
その感情は、動物のものなのか。それとも、人のものなのか。
動物福祉や野生動物医療の現場で起きる誤解の多くは、
この言葉から始まっている。
感情と判断のズレを、静かに整理する。

「かわいそう」は誰の感情なのか

― 動物福祉で“擬人化”が判断を歪めてしまう理由


はじめに|この記事の立場について(重要)

※本記事は、筆者自身が獣医療行為を行っている立場からの記述ではありません。
筆者は獣医師免許を有しておらず、診断・治療・処置などの医療行為は、必ず獣医師によって判断・実施されるべきものです。

本文で扱う内容は、野生動物医療や動物福祉の現場に関わる獣医師・専門家との協働、取材、現場観察を通じて共有されてきた一般的な考え方や議論を、思想的に整理したものです。
正解を示すことを目的とするものではなく、
読み手自身が考えるための材料を提供することを目的としています。


「かわいそう」という言葉は、とても強い

動物に関する話題で、
もっとも頻繁に使われる言葉のひとつが
「かわいそう」です。

傷ついた動物
衰弱した動物
動けなくなった動物

それを見たとき、
多くの人が自然に、そう感じます。

この感情自体は、
決して否定されるものではありません。

問題になるのは、
「かわいそう」という感情が、そのまま判断になってしまうときです。


「かわいそう」は、事実ではなく感情である

ここで、ひとつ大切な整理をします。

「かわいそう」は、事実の説明ではありません。
それは、
見た人の心の中に生まれた感情です。

同じ動物を見ても、

  • かわいそうだと感じる人

  • 自然の営みだと受け取る人

  • 距離を取って見守ろうとする人

感じ方は、人によって違います。

つまり「かわいそう」は、
動物の状態を客観的に示す言葉ではないのです。


なぜ人は、動物を擬人化してしまうのか

人は、理解できないものに出会うと、
自分の感覚に引き寄せて理解しようとします

動物が苦しそうに見えるとき、

  • 人間だったら辛い

  • 人間だったら助けを求める

  • 人間だったら治療を受けたい

そう置き換えてしまう。

これが
擬人化です。

擬人化は、
理解しようとする行為でもあります。
しかし同時に、
判断を歪める原因にもなります

動物は「かわいそう」と思っているわけではない

野生動物は、

  • かわいそう

  • 不幸

  • 助けてほしい

といった感情を、
人間の言葉で表現しません。

彼らが示すのは、

  • 逃げる

  • 抵抗する

  • 動かなくなる

といった、
生理的・行動的反応だけです。

そこに
「かわいそう」という意味づけをするのは、
人間側の解釈です。


「かわいそう」は、判断を急がせる

「かわいそう」と感じた瞬間、
人は強く行動を促されます

  • すぐに助けなければ

  • 何かしなければ

  • 見ているだけではいけない

このスイッチはとても強力で、
冷静に考える時間を奪います。

結果として、

  • 成功率

  • 予後

  • その後の生活

といった視点が、
後回しにされてしまうことがあります。


「かわいそう」は、善悪を単純化する

「かわいそう」が判断軸になると、

  • 助ける人=良い

  • 助けない人=冷たい

という、
二択の世界が生まれます。

しかし、動物福祉や野生動物医療の現場では、
この二択は成立しません。

助けることが、
結果として苦しみを長引かせる場合もある。

助けないことが、
その命にとって最も穏やかな選択である場合もある。


「かわいそう」は、人の心を守る言葉でもある

ここで、もうひとつ大切な視点があります。

「かわいそう」と感じることは、
人間が自分の心を守る反応でもあります。

  • 何もできなかった罪悪感

  • 見過ごしたことへの不安

それを
「かわいそうだった」と言語化することで、
心のバランスを取っている。

だからこそ、
この感情は簡単には手放せません。


動物福祉が見ているのは「感情」ではない

動物福祉や野生動物医療が見ているのは、

  • その命がどう感じているか(推測)
    ではなく

  • その命がどうなるか(予測)

です。

  • 苦痛は増えるか

  • 回復は現実的か

  • 生き方は成立するか

ここに、
「かわいそうかどうか」は含まれていません。


「かわいそう」を手放すことは、冷たさではない

「かわいそう」という言葉を使わないことは、
優しさを捨てることではありません。

それは、

  • 感情を否定することでもなく

  • 無関心になることでもなく

👉 感情と判断を切り分けることです。


最後に|その感情は、あなたのもの

「かわいそう」は、
動物の言葉ではない。
それは、あなたの心に生まれた言葉だ。

この事実を受け止めることは、
動物を突き放すことではありません。

むしろ、
動物を人間の感情から自由にする行為です。


まとめ|感情は否定しない。ただし、任せきりにしない

  • 「かわいそう」は自然な感情

  • しかし判断の軸にはならない

  • 動物福祉は、感情の強さでは決まらない

この視点を持つことが、
次の記事につながります。

👉 野生復帰できない命を、生かし続ける正解はあるのか

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