
■ 序章
多くの最期に立ち会ってきた私が、今どうしても伝えたいこと
動物と共に生きる仕事は、喜びと同じだけ、別れも抱えています。
私はこれまで、一般の飼い主さんよりも遥かに多くの動物の「最期」に立ち会ってきました。
最期の瞬間に寄り添うという行為は、どれほど経験を重ねても慣れることはありません。
むしろ、重ねるほどに、ひとつひとつの命が残していく「温度」と「重さ」は、心に深く沈んでいきます。
長年この仕事をしていると、
寝たきりになった個体、補助がなければ排泄もできなくなった老齢個体、
自力で立つ力さえ残っていない動物たちと同じ時間を過ごす日も多くなります。
そこで私が痛いほど学んだのは、
「終末期ケアとは“治療の延長”ではなく、その子が苦しまないための“静かな支度”である」
という事実です。
最期の時間は劇的なドラマではありません。
むしろ驚くほど静かで、
気を抜けば見落としてしまうほどの、かすかな光のような時間です。
しかしその光は、必ずその子を愛した人の心に残り続けます。
だからこそ私は、このテーマについて書くべきだと思いました。
終末期ケアは「かわいそうな時期」ではありません。
むしろ、その子が最も“その子らしく”いられる時間でもあるのです。
この文章では、
私自身が膨大な現場経験から得た「終末期ケアの考え方」を、
できる限りの専門性と、
読み手の心にそっと寄り添う言葉でお伝えしていきます。
以下、第1話へと続きます。
■ 第1話
終末期ケアとは“何かをする時期”ではなく、“何を外すか選ぶ時間”である理由
私は仕事柄、数多くの動物たちの最期に立ち会ってきました。
そこで分かったのは、
延命の判断よりも、負担を減らす判断のほうが、その子の表情を確実に優しくする
ということでした。
これは感情論ではありません。
動物行動学・終末期医療学・生理学の観点からも理にかなった事実です。
■ 動物は「苦しみ」を未来ではなく“今”で評価する
人間は未来のために苦痛を受け入れることができます。
しかし動物は違います。
動物の意思決定は、
“いま、この瞬間の身体感覚がどうか”
によってほぼ決まります。
これは動物行動学でいう
Present-Oriented Survival Strategy(現在志向型の生存戦略)
に基づきます。
つまり…
動物にとって「いま苦しいかどうか」が、命を守る唯一の基準。
だからこそ、終末期の判断は「未来の延命」よりも
“現在の苦痛を取り除くこと”が圧倒的に優先されるべきなのです。
■ 終末期の身体は「刺激」自体に耐えられない
終末期の動物に共通するのは、
身体のあらゆる刺激に対する耐性が急速に落ちていくということ。
これは
・筋力低下
・呼吸効率の低下
・酸素運搬能の低下
・自律神経のバランス崩壊
・痛覚過敏
など、複数の要因が重なって起こります。
結果として、
● 明るい光がつらい
● 音が負担になる
● 触られることが痛みにつながる
● 呼吸が苦しい姿勢が増える
● 少しの移動で大きく体力を奪われる
という状態が生まれます。
この生理学的理由により、
終末期の個体は「刺激総量を減らす行動」を自然と選択します。
■ 動物行動学が示す「刺激を避ける行動」は適応行動である
終末期の子がよく見せる行動には、行動学的な理由があります。
・暗い場所に行きたがる
・動かずじっとしている
・人から距離をとる
・逆に突然甘える
・触られたがらない日がある
これらはすべて、
弱った身体が刺激を最小限に保つための“適応行動”です。
誤解してほしくないのは、
「死期を悟って身を隠す」という民間伝承的な考えとは全く異なること。
動物行動学的には、
刺激負荷を減らすことで痛み・不安・呼吸困難を避ける自然な戦略
なのです。
だからこそ飼い主は、
その行動を「拒絶」と捉えず、
“いま楽でいられる場所を選んでいるだけ”
と理解してあげることが重要になります。
■ 終末期ケアが「足す」ではなく「引く」になる理由
終末期ケアは、治療とは発想がまったく異なります。
治療は「足す医療」。
対して終末期ケアは「引く医療」。
● 無理な投薬を減らす
● 苦しい姿勢矯正をやめる
● 不要な検査・処置を外す
● 休息を優先させる
●“その子が選びたがる環境”を守る
これらが、
その子の自律神経を落ち着かせ、
呼吸を整え、
苦痛を軽減し、
表情を柔らかくしていきます。
私は数多くの最期を見送ってきましたが、
身体的負担を外したときの動物の安堵の表情は、
毎回はっきりと見て取れます。
その瞬間を、私は何度も見てきました。
だからこそ私は言い切れます。
終末期ケアは“足し算”ではなく“引き算”のほうに、真の穏やかさが宿る。
これが、私が多くの子たちに教わった、
静かで確かな答えです。


